あの日の記事を、いま読んで。   

第2回:1946年(昭和21年) 創刊号(その2)

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第1回に続いて創刊号から興味深い記事を紹介しましょう。 時は太平洋戦争終了の1年後。国破れて山河あり……の心情がありありと記されています。

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[middle_title]夏のヘラ鮒釣り[/middle_title]
布佐の六軒川・安食の甚兵衛沼 叶 九隻 ヘラ鮒の味覚、楽しからずや?!         「釣りはフナに始まりフナに終わる」という有名な格言がありますが、最近では「釣りはヘラに始まりヘラに終わる」などという人もいるようです。しかし、ヘラブナはゲンゴロウブナを品種改良して20世紀に誕生した魚ですから、これは間違い(笑)。ヘラブナ釣りは、昭和の時代に入って全国に普及・発展した新しい釣りです。 『つり人』創刊号にも、早くもヘラブナ釣りの記事が載っています。昭和21年ですから、ヘラブナという魚がいかに短期間で広範囲に拡散し、釣り人の間でも楽しまれるようになっていたかがうかがえます。 今では代表的な和の釣りのスポーツフィッシング・ヘラブナ釣りですが、当時はどうだったのでしょうか。記事の出だしを引用します。 [blog_citation1]「ヘラ鮒の食味は夏季を最上とする—とは関西での定評ださうだから食量不足の今日一層カルシウム分の補給と共に大いに釣りまくし(原文ママ)て見たい」[/blog_citation1] と、書いてあります。どうですか(笑)。 続いて釣り場の説明です。手賀沼(千葉県)の「六軒落とし」という場所について、 [blog_citation1]「夏と言っても五月初旬から六月までもっともよい」とか、「昨年五月は罹災して竿もなく玉網もないみじめさに尺以上のヘラ鮒を三枚かけて何れも遂に揚がらずにバラして了つた」 [/blog_citation1] 文中の「昨年五月」は、終戦直前です。罹災とあるのは空襲で焼け出されたのかもしれません。満足な道具すら失い、それでも何とか水辺でイトを垂れようとする。まさに「国破れて山河在り」の心境か、あるいはただの釣り人根性とでもいうべきものでしょうか(笑)。 道具や仕掛け周りの記述もなかなか詳細です。 [blog_citation1]「むしろヅキ竿に近い調子の強い鮒竿できれば二間半か三間の一本竿を用意してゆく。道糸は二厘の人天、本テグスなら最も理想的である。浮木は勿論ヘラ浮木、錘は鉄錘で浮木との調節は充分に注意することが最も大切である」[/blog_citation1] そして、結びの一文がこれです。 [blog_citation1]「ひとり夏のヘラ鮒を釣って大型を揃へて静かに快味を味ふのも萬更なことではなからうと思ふ。  ヘラ鮒のあらひ酢味噌、又鯉こくよりもあま味のある鮒こくも捨て難く盥焼き煮付け尺鮒の紅焼き。  ヘラ鮒の味覚——楽しからずやである」[/blog_citation1] 素晴らしいと思いませんか。要するにこの頃は、ヘラブナは食量だった、食べるものだったという話です(笑)。 しかし、実はこれは終戦直後の話とは限りません。今から40年ほど前、私がつり人社に入社した頃も、水郷方面へ取材に行って民宿や旅館に泊まると、フナこくが普通に出たものです。コイこくは私は苦手でしたが、フナこくは美味しかった記憶があります。 日本が高度経済成長期真っ只中にあった昭和40年代後半でさえ、水郷あたりではフナは貴重かつポピュラーなたんぱく源だったわけです。 [blog_line]
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[middle_title]大森海岸のダボハゼ釣り[/middle_title]
清水尺鮒

雑誌の原点 次の記事は「大森海岸(東京湾)のダボハゼ釣り」です(笑)。筆者は清水尺鮒さん。小もの釣りファンからも「ダボハゼかよ〜」といって釣れるとバカにされる魚ですが、清水さんの筆は冴え渡っています。 [blog_citation1]「大きさは二三寸で色は黒く、形態がグロでぬるぬるしていて釣りの仲間にこんな奴がは入るか子供の玩具だなどと見向きもせぬ人も多いだらうが、どうしてどうして此奴の味たるや一寸ドヂョウの油の少ない感があり、小さく見た割合ひに肉が多く、丸々と綺麗な白い肉を持っているし、今は、はちきれる程卵を抱へている。小さいので頭から食べられる。天ぷらが一番うまいが只今の油の具合では一寸無理だらう。家庭菜園から菜でも採って来て、煮て下さい。(略)…菜と一緒に煮るとそれはそれは美味しい。(略)…試みに釣場で附近の漁師に“こんなもの食べられますか”と聞いてご覧なさい、“こんなものぢやァないよ、佃煮はこれが一番だ”と答へるから(略)…また時期柄馬鹿に出来ぬ栄養給源である」 [/blog_citation1] このあと釣り方なども詳しく記されているのですが、ダボハゼをここまで生き生きと美味そうに書いた人は、いないのではないでしょうか(笑)。ほのぼのとして、どこかひょうひょうとした感のある文章も味わい深いものです。当時の食糧事情も察せられますし、今となっては、歴史に残りにくい庶民の暮らしを記した一級の資料的な価値さえあると思います。 ほかにも楽しげな記事がズラリと並びます。「サイゴンの手長蝦」「ハヤ釣の考察」「フライキャスティング」、まだまだあります佐藤垢石の「魔味談」、これなどはタイトルだけで読みたくなりませんか。また「たより」と題して筆者の井伏鱒二さんらの消息を記事欄外に載せるなど、実に多彩な作りをしているのです。これこそ雑誌です。 せっかくの創刊号復刻ですから、あと1回だけお話の続きをさせてください。そうそう、消費税増税の足音が聞こえている昨今ですが、当時の釣り具にはとんでもない税金がかけられていて、それに憤慨している記事なども大変に面白い(笑)。そして、月刊『つり人』がここまで続けてこられた雑誌作りの秘訣も明かしましょう。 [blog_line] [blog_box] 1946年(昭和21)の主な出来事 (この年生まれの方は今年満67歳) 1月 天皇の人間宣言 東京で紙芝居復活。弁士が東京で2000人、観客の子ども1日50万人 たばこピース新発売(1人1箱制限) 2月 東京山手線に、日本人立入禁止白線入り進駐軍専用電車登場 3月 日刊スポーツ発刊、初のスポーツ紙 4月 新選挙法による第22回総選挙 幣原内閣総辞職. 5月 メーデー11年ぶりに復活 極東国際軍事裁判(東京裁判)始まる 皇居で米よこせデモ 第一次吉田茂内閣成立 広島・長崎に白血病患者出始める 6月 4年ぶり早慶戦野球復活 8月 闇市の全国一斉取り締まり 9月 住友財閥令嬢誘拐事件 11月 日本国憲法公布 12月 樺太引き揚げ第一船が函館に入港 シベリア引き揚げ第一船が舞鶴に入港 [/blog_box][blog_image_frame]001[/blog_image_frame]
第1回に続いて創刊号から興味深い記事を紹介しましょう。 時は太平洋戦争終了の1年後。国破れて山河あり……の心情がありありと記されています。

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[middle_title]夏のヘラ鮒釣り[/middle_title]
布佐の六軒川・安食の甚兵衛沼 叶 九隻 ヘラ鮒の味覚、楽しからずや?!         「釣りはフナに始まりフナに終わる」という有名な格言がありますが、最近では「釣りはヘラに始まりヘラに終わる」などという人もいるようです。しかし、ヘラブナはゲンゴロウブナを品種改良して20世紀に誕生した魚ですから、これは間違い(笑)。ヘラブナ釣りは、昭和の時代に入って全国に普及・発展した新しい釣りです。 『つり人』創刊号にも、早くもヘラブナ釣りの記事が載っています。昭和21年ですから、ヘラブナという魚がいかに短期間で広範囲に拡散し、釣り人の間でも楽しまれるようになっていたかがうかがえます。 今では代表的な和の釣りのスポーツフィッシング・ヘラブナ釣りですが、当時はどうだったのでしょうか。記事の出だしを引用します。 [blog_citation1]「ヘラ鮒の食味は夏季を最上とする—とは関西での定評ださうだから食量不足の今日一層カルシウム分の補給と共に大いに釣りまくし(原文ママ)て見たい」[/blog_citation1] と、書いてあります。どうですか(笑)。 続いて釣り場の説明です。手賀沼(千葉県)の「六軒落とし」という場所について、 [blog_citation1]「夏と言っても五月初旬から六月までもっともよい」とか、「昨年五月は罹災して竿もなく玉網もないみじめさに尺以上のヘラ鮒を三枚かけて何れも遂に揚がらずにバラして了つた」 [/blog_citation1] 文中の「昨年五月」は、終戦直前です。罹災とあるのは空襲で焼け出されたのかもしれません。満足な道具すら失い、それでも何とか水辺でイトを垂れようとする。まさに「国破れて山河在り」の心境か、あるいはただの釣り人根性とでもいうべきものでしょうか(笑)。 道具や仕掛け周りの記述もなかなか詳細です。 [blog_citation1]「むしろヅキ竿に近い調子の強い鮒竿できれば二間半か三間の一本竿を用意してゆく。道糸は二厘の人天、本テグスなら最も理想的である。浮木は勿論ヘラ浮木、錘は鉄錘で浮木との調節は充分に注意することが最も大切である」[/blog_citation1] そして、結びの一文がこれです。 [blog_citation1]「ひとり夏のヘラ鮒を釣って大型を揃へて静かに快味を味ふのも萬更なことではなからうと思ふ。  ヘラ鮒のあらひ酢味噌、又鯉こくよりもあま味のある鮒こくも捨て難く盥焼き煮付け尺鮒の紅焼き。  ヘラ鮒の味覚——楽しからずやである」[/blog_citation1] 素晴らしいと思いませんか。要するにこの頃は、ヘラブナは食量だった、食べるものだったという話です(笑)。 しかし、実はこれは終戦直後の話とは限りません。今から40年ほど前、私がつり人社に入社した頃も、水郷方面へ取材に行って民宿や旅館に泊まると、フナこくが普通に出たものです。コイこくは私は苦手でしたが、フナこくは美味しかった記憶があります。 日本が高度経済成長期真っ只中にあった昭和40年代後半でさえ、水郷あたりではフナは貴重かつポピュラーなたんぱく源だったわけです。 [blog_line]
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[middle_title]大森海岸のダボハゼ釣り[/middle_title]
清水尺鮒

雑誌の原点 次の記事は「大森海岸(東京湾)のダボハゼ釣り」です(笑)。筆者は清水尺鮒さん。小もの釣りファンからも「ダボハゼかよ〜」といって釣れるとバカにされる魚ですが、清水さんの筆は冴え渡っています。 [blog_citation1]「大きさは二三寸で色は黒く、形態がグロでぬるぬるしていて釣りの仲間にこんな奴がは入るか子供の玩具だなどと見向きもせぬ人も多いだらうが、どうしてどうして此奴の味たるや一寸ドヂョウの油の少ない感があり、小さく見た割合ひに肉が多く、丸々と綺麗な白い肉を持っているし、今は、はちきれる程卵を抱へている。小さいので頭から食べられる。天ぷらが一番うまいが只今の油の具合では一寸無理だらう。家庭菜園から菜でも採って来て、煮て下さい。(略)…菜と一緒に煮るとそれはそれは美味しい。(略)…試みに釣場で附近の漁師に“こんなもの食べられますか”と聞いてご覧なさい、“こんなものぢやァないよ、佃煮はこれが一番だ”と答へるから(略)…また時期柄馬鹿に出来ぬ栄養給源である」 [/blog_citation1] このあと釣り方なども詳しく記されているのですが、ダボハゼをここまで生き生きと美味そうに書いた人は、いないのではないでしょうか(笑)。ほのぼのとして、どこかひょうひょうとした感のある文章も味わい深いものです。当時の食糧事情も察せられますし、今となっては、歴史に残りにくい庶民の暮らしを記した一級の資料的な価値さえあると思います。 ほかにも楽しげな記事がズラリと並びます。「サイゴンの手長蝦」「ハヤ釣の考察」「フライキャスティング」、まだまだあります佐藤垢石の「魔味談」、これなどはタイトルだけで読みたくなりませんか。また「たより」と題して筆者の井伏鱒二さんらの消息を記事欄外に載せるなど、実に多彩な作りをしているのです。これこそ雑誌です。 せっかくの創刊号復刻ですから、あと1回だけお話の続きをさせてください。そうそう、消費税増税の足音が聞こえている昨今ですが、当時の釣り具にはとんでもない税金がかけられていて、それに憤慨している記事なども大変に面白い(笑)。そして、月刊『つり人』がここまで続けてこられた雑誌作りの秘訣も明かしましょう。 [blog_line] [blog_box] 1946年(昭和21)の主な出来事 (この年生まれの方は今年満67歳) 1月 天皇の人間宣言 東京で紙芝居復活。弁士が東京で2000人、観客の子ども1日50万人 たばこピース新発売(1人1箱制限) 2月 東京山手線に、日本人立入禁止白線入り進駐軍専用電車登場 3月 日刊スポーツ発刊、初のスポーツ紙 4月 新選挙法による第22回総選挙 幣原内閣総辞職. 5月 メーデー11年ぶりに復活 極東国際軍事裁判(東京裁判)始まる 皇居で米よこせデモ 第一次吉田茂内閣成立 広島・長崎に白血病患者出始める 6月 4年ぶり早慶戦野球復活 8月 闇市の全国一斉取り締まり 9月 住友財閥令嬢誘拐事件 11月 日本国憲法公布 12月 樺太引き揚げ第一船が函館に入港 シベリア引き揚げ第一船が舞鶴に入港 [/blog_box]

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